公共空間を"デザイン"する?

 以前、ある勉強会*1で発表した内容を整理し、その後の考えの変化等をあわせて書く。
 当日発表したパワポはHPにアップしていただいている(こちらを参照)。ただし発表から少し時間が経過しているので、いくらか考えや言葉の選び方が変わってきている部分もある。よって今回の内容はスライドの内容と完全に一致する物ではない。この発表で初めて公共空間と産業跡地空間双方への関心に接点を見いだそうとした。


テーマ:「公共空間を"デザイン"する?」

 I.増殖する<公共空間>とそのうさんくささ
 にぎわいの創出、くつろぎの空間、出会いの場といった標語をもって創出される<公共空間>が現在増えている。特に都市部の再開発で増える公開空地は非常に良い例だ。私は現在赤坂でアルバイトをしているので、サカスやミッドタウンの公開空地に人々が集い、特にイベント時にとても賑わっているのをよく見かける。
 しかしこれらの空間に決定的に欠如している性質がある。公共空間(公的空間)について示唆に富む考察をした哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)にヒントをもらおう。彼女は公共空間を、

  • 私的空間と区別される空間
  • 行為の複数性が存在する空間 (他者の現前)
  • 予測不可能性を内包する空間 (他者との予期せぬ出会いの可能性)

と捉えている*2。彼女の視点を借りると、増殖する<公共空間>に対し次のような批判ができよう。

  • 空間の私有化&商品化 (ブランドイメージを壊す因子(人・事・物)の排除)
  • 予期不可能の排除 (敷地内のイベント等は全て仕組まれた予定調和的なもの)
  • 使用者の<標準化> (従順な消費者(あるいは少なくとも無害)である事が求められる)

よって、前述の標語も

  • にぎわいの創出 →コントロールされ、意図的に作り出されるにぎわい
  • くつろぎの空間 →あらゆる人にくつろぎが許されるわけではない
  • 出会いの場 →常に"安心・安全"の確保が優先された上での出会いの場

という条件がつき物であることがわかる。本来公共空間にとってこれらの条件は、致命的な欠陥である。増殖する<公共空間>にうさん臭さを感じる理由は、このような部分にあるのではないだろうか。

 写真:テレビ朝日前広場 快適な休憩スペースも、監視カメラや警備員によって「招かれざる客」を排除する目が光っている。

 II.管理しきれない空間
 では、どのような空間に公共空間としての可能性があるか。I.で見てきたように公共空間としての本来的意味が削がれる要因を一言で表わすならば「空間の管理」である。ならば、可能性は「管理しきれない空間」にあるのではないか。ここでは「管理しきれない空間」の特徴を3つに整理してみる。

  1. 時限的に現れることで管理を免れている空間
  2. 人々のアクティビティにより管理を免れている空間
  3. 空間の物理的特徴により管理を免れている空間

 1.は、例えばデモの空間や花見など、時間や季節限定で無礼講的に現れる空間。都市では、一時的では在るが、既存の<空間の使われ方>のコードを逸脱した空間が出現する事がある。
 2.は例えば駅前広場などで自然発生的に起こるアクティビティによって、人々が作り出す空間。これは人々の空間に対する「ニーズ」が強く、これが空間を管理する力と均衡状態となる場合に現れる。
 3.は例えば河川の中州や高架下など、管理が行き届かないために残っている空間。
 1.2.3.は明確に区分されている訳ではなく、むしろこれらの要因が複合的に成立する事で、管理しきれない空間が生み出されていると考えるべきだ。管理しきれない空間が常に公共空間であるとは言えないが、管理されている空間より多くの公共空間としてのポテンシャルを宿している事は間違いない。

写真:新宿アルタ前広場 予期しないアクティビティが出現する

[補足]
 1.と2.に関しては、社会学アンリ・ルフェーブル(Henri Lefebvre)の「生きられた空間」*3の概念が示唆的だ。ここでは深入りしないが、彼は空間を固定的に存在するものではなく、「社会的に<生産>されるもの」と捉え直すことで、これを施政者・建築家・都市計画者などが作り出す空間(空間の表象)と対峙させている。
 また、近年ではランドスケープ・デザインに関わる人々から、ユーザーが主体的に生み出す空間への注目が集まっている。空間を<設計する>側であるとされてきた人々が、「パブリックスペースは、作り手が与えるものから、使い手に獲得されるものへと変化することが求められている*4。」と述べているのは、注目すべき事だ。
 3.に関しては、「アジール」の概念に共鳴する部分が在るだろう。歴史学者網野善彦は、中州や河原の「無主性」に着目し、そこに「都市的な性格」が発生する契機を見ている*5。公共空間と「無主性」の関係については別の機会にまとめるが、ここでは、中州や河原などの物理的な空間の特徴(孤立性、端性など)が、結果として管理しきれない空間を作り出し、それは歴史的にも重要な役割を担っていたと言う事を指摘したい。
 全体を通して言える事は、公共空間の成立条件として、空間に人々が主体的に関わる事のできる「隙間」の存在が重要であると言う事だ。この「隙間」は、管理の隙間であったり、物理的な意味での(例えば設計されていない余白としての)隙間であったり、権力と権力の拮抗するところに現れる隙間である場合もあるだろう。「隙間」は予測不可能性、複数性を生む重要な要因であると考えている。