小さな町の芸術祭:PARADIESISCHES PLESSA Mit Blumen, Licht und Musik

2010年9月11日、私はPlessaというブランデンブルグ州の小さな町で、”PARADIESISCHES PLESSA Mit Blumen, Licht und Musik”というIBAのプロジェクトに参加しました。これは修士論文のときにインタビューしたJ.モンタルタ氏の率いるPradies2という住民参加型芸術祭の一環です。ちょっと長くなりますが報告します。


> 芸術祭当日の様子


KULTURHAUS PLESSAという市民ホールの前庭に造られた、参加者が持ち寄った花でできた「花の海」




ホールや前庭で行われたコーラスやブラスバンドのミニコンサート





夕方から参加者全員で行進しながらつくった「光の道」



行進の終着点は町のシンボルである旧火力発電所




発電所内部では光と音のパフォーマンスが行われた
©IBA See 他の写真 

当日は天候にも恵まれ、人口3000人の町に5000人以上の人々が集まりました。


>「音」でつながった
私はIBAのメンバーとして6月頃からこのプロジェクトに参加したのですが、 最初は本当にコミュニケーションに苦労しました。日本ですらまちづくりや参加型プロジェクトって意思疎通で苦労するのに、まして言葉が不自由だとほんとにつらい。 当時私のドイツ語は全く使い物になるレベルではなく、東ドイツの田舎町でまったく英語も通じず、最初の頃は「何しに来たんだ、このアジア人は?」という感じで見られ、またそういう風に対応されると私もビビってしまいました。 同僚とモンタルタ氏に本当に色々と助けられつつ、どっかに自分が入り込めるところは無いかと画策し、見つけたのが「音」の分野でした。

Plessaは小さな町であるにも関わらず、炭坑マンのブラスバンドコーラス隊、市民のブラスバンド、コーラス隊がそれぞれあり、今でも盛んに活動しています。どんな小さな町にも、音楽が文化の一部として深く根づいているのはドイツの特徴でしょう。私は彼らと一緒に、光の道のBGMを作りました。演奏スキルは高くなく、プロの音楽家は一人もいない中で、知恵を出し合い、光の道の雰囲気に合い尚且つ演奏可能なBGMを一緒に考えて作っていきました。当日のアンサンブルには子供からおじいちゃんまで参加して、とてもすてきな風景でした。私自身もリコーダーで参加しました。


また発電所の中の音響計画も担当しました。最初は何か音楽をスピーカーで流せば良いんじゃないかと工場のオーナーに言われていたのですが、それじゃ面白くないなと感じ、あるとき発電所の柱や巨大なダクトなど、工場内に残されている物を叩いて鳴らす事を思いつきました。柱や機械を叩くと、発電所内部の教会のような音響空間に図太いメタルの振動音が響きわたり、信じられない音が出るのです。ただ発電所文化財で、これを叩くというアイディアは受け入れてもらえるかなと心配でしたが、オーナーやモンタルタ氏に非常に気に入ってもらえ、実現できました。「発電所の心音」をコンセプトに、当日は予想より遙かに長く、30分間たたき続け、手の皮ははがれるわ意識が朦朧とするわで死ぬかと思いましたが、なんとか叩ききりました。このドラミングは地元の人々と参加者の反応も大変良く、「斬新だ」「発電所の力強さを音で表現している」と多くの反響を頂きました。

一方、ある女性からは「これは発電所で私が聞いていた音じゃない。当時の機械音を流すべきだ。」という意見がありました。彼女はDDR時代に発電所で長らく務めていた方で、自らの仕事場を心から愛し、工場のすべてを熟知していました。なるほどそうか、と思いつつ私は「発電所はもう動いていない。動いていないものを動いているように"偽装"するより、発電所が動かなくなったからこそ出来る、この空間の新たな可能性を音で提示したい」という旨のことを言ってすこし議論しました。 私が産業遺産を活用すべき「資源」として扱うことに対して、現役時代の発電所を知っている世代の人々に違和感が生じた瞬間でした。 最終的に私のアイディアは理解してもらえましたが、様々なパースペクティブが交差する産業遺産ならではの論点だったのだと思います。


> コミュニケーションとしてのアート
このように、私は音楽という芸術のおかげで、なんとかプロジェクトに関わり、住民の人々とつながり、一緒に考え、感情を共有し、新たな事を提案することが出来ました。今回身にしみて実感したことは、芸術は決して芸術家だけのものではないということです。 Plessaにおける花壇、テーブルデザイン、蝋燭や松明、音楽、全て住民の人々とIBAのメンバーによる手作りで、いわゆるアーティストや業者などのプロは入っていません。「なにか面白いことを、新しいことをやりたい」という人々の意欲が、このクオリティとクリエイティビティを生み出したのです。「アートでまちづくり」の味噌はまさにそこにあり、著名な芸術家を町に呼んできてなにか作ってもらってありがたがることは全然別なのです。

その意味で、やはり面白かったのは、このプロジェクトにおける唯一の芸術家、モンタルタ氏の立ち位置でした。彼は自ら物を作ったり提案することはほとんどしません。大きなコンセプトだけ提案しますが、個々のデザインに口出しはしません。彼は話し合いを通じて人々のモチベーションをたかめ、コミュニケーション可能な状態にしてアイディアが生み出される土台を作っていました。実際、はじめの頃は大変シャイで発言するのをためらっていた住民の多くも、話し合いを重ねるごとに次第に自らのアイディアや町に対する思いを積極的に話すようになっていき、さらに自発的に作業グループを作るまでに至りました。(具体的な話し合いの方法については以前書きましたこちらの記事を見てください。)私は彼を見ていて、何度もアーレントの「ペルソナ」や「パースペクティブ」の話を思い出しました。(彼のプロフェッションが演劇の演出家だというのも「ペルソナ」の話と偶然ではないような気がします)話し合いを通じて、彼はある種の公共空間を創りだしていたのだと思います。

今回の経験で、まちづくりにおけるアートの本質は、完成された作品というよりはコミュニケーションなのだと感じました。これは一緒に考え、 一緒に作るというシンプルな事です。アートはきっかけであってゴールではありません。そしてアートのもつ人の「感性」に訴える力こそ、それぞれの立場を超えて人々をつなぐのだと強く実感しました。


このプロジェクトについて報じる地元新聞(Lausitzer Rundschau)モンタルタ氏と私


---リンク---
・Paradies2(公式)
・PARADIESISCHES PLESSA(公式)
・地元紙LausitzerRundschauの記事
・Jürg Montalta氏のwebサイト