都市の「間」の豊かな「生活」

ワークショップも終わりまして、いまドキュメントのまとめ作業中です。そのなかであとがき用に書いた文ができたので載せます。

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いきなり私的な話で申し訳ないのですが、東京の杉並区に生まれ育った私は、子供の頃から東京という都市の窮屈さを身にしみて体験してきました。どこまでも続く住宅地。公園は綺麗すぎるほどに整備され、狭苦しくネットに囲われた鳥かごのような所でしかボールで遊べない。屋敷跡の広い空地は瞬く間にミニ開発でアパートになり、自然公園の「自然」を満喫しようにも、「歩道から出るな!」と自然を「管理」するおっちゃんにどやされる。唯一自然らしい自然の残っていた神社で木のぼりやら野球やらしていると、駐車してある高級外車にボールをぶつけられてはタマランとカンカンになった神主が学校に怒鳴りこんでくる始末。それでも、懲りずに遊んでいました。家と家を隔てる塀をつたって近隣の家の庭を探検してみたり、休みの日に工事現場に侵入して鉄パイプをバットに野球してみたり、雑居ビルの屋上で麻雀してみたり。それは、言ってみれば都市空間に「自由」を求める戦いだったのです。「用途」でがんじがらめにされた都市空間に「隙間」を見つけて入り込む実践です。だから様々な縁があってライプツィヒに引っ越してきた時、なんて遊べる空間のたくさんある街なんだろうと思いました。これだけの規模の都市に、これだけ自由に使える空間が残っているという事は、私から見ると贅沢極まりないこと。空き家に住み着いてプロジェクトを始めたのも、都市の「間」に起こっている事に注目するようになったのも、それをテーマにワークショップをやろうと思い至ったのもまったく自然な流れでした。

ライプツィヒでは、都市の縮小によって出現した都市の「間」に、ミクロだけど豊かな空間が住民たちの手によって生み出されています。地域の農園、子どもの遊び場、アーティスト達のたまり場、これらは、「消費の空間」とも「労働の空間」とも違う、「生活の空間」であって、資本や権力にまかせていては生まれてこない、おおらかな空間です。人は、自らの手で「生活」を取り戻し、豊かな「空間」を生み出す能力があるのだという事を実感するとき、私はいつも60年代の都市社会学アンリ・ルフェーヴルのメッセージを思い出します。彼はパリ五月革命の体験から「都市への権利」と「空間の生産」という重要なキーワードを残しました。それは、都市空間は政治家のものでも、都市計画家のものでも、資本家のものでもなく、「われわれ、都市に生きる者のもの」であり、「都市に生きるものなら誰しも、空間を生み出し、使い込む能力と権利がある」というものです。私自身、ライプツィヒの空き家に暮らし仲間と共にプロジェクトを進めていく上で、「空間をつくる実践」は、人間の「生活力」と深く結びついていると実感しました。これは自分たちの生活に必要な物と空間を自分たちで作るという力、またネットワークを広げコミュニティをつくる力であって、現代社会ではわすれられがちですが、我々が本来もつ基本的な能力といえると思います。

都市の縮小を、ポジティブに捉えることは容易ではありません。縮小を受け入れろとか、成長の時代は終わったとか、口では簡単に言えるでしょうが、これまでの発展・拡大・開発というテーゼを失って、果たして我々、特に都市の現場に関わる者は何を考え、具体的に何を実践すればいいのか。わずかに残された「成長」にしがみついて今までどおり食いつなぐ、というのも一つの道でしょう。しかしもっと根本的な部分を問いなおさねば、未来は開けません。ライプツィヒでは、都市の「間」が土壌となって人々の「生活力」が開花し、それによって生み出されるミクロな「生活の空間」が互いにネットワークすることで、都市のキャラクターを独特なものにしています。人々の「生活」を取り戻す実践と、「縮小」をいち早く受け入れて住民らの実践をサポートしている中間団体や行政サイドの思想は、我々に大きなヒントを与えてくれます。今回のワークショップを通じて、豊かな空間とはなにか、豊かな生活とはなにか、という事を考えるきっかけに少しでもなれば幸いです。