Disturbed Landscapes 荒野の風景から考える事

 修士論文を書くにあたり、散漫になりがちなアイディアとかイメージとかをつなぎ止めておけるようにメモを取る感覚でとしてブログを始めようと思う。

 修論のテーマとして今考えているのは、中東欧の衰退重工業地域における産業遺産・産業ランドスケープを通した<都市再生>の可能性と問題点についてだ。

 昨年の留学期間後半から今まで、一貫してこのテーマに取り組んできた。今までやってきた事・考えてきた事をざっと振り返ってみる。


2008年2月ベルギー・ゲント留学中に初めて念願だったIBAEmscherparkを訪れる。

 真冬のルールで、霧の中の神秘的な美しさをもった産業遺産群に圧倒される。産業遺産と自然の入り交じった風景(Industrial-Nature)、構造美、そして躯体の錆や崩れかかった部分を変になおさずにおく保存の方法に感動する。


2008年3月 東欧旅行中にチェコルーマニアの重工業地帯を訪れる。

 一ヶ月弱かけてポーランドからチェコスロバキアハンガリールーマニアブルガリアまで旅する。
 チェコではボヘミア北部の工業地帯の街モスト(Most)で生まれて初めて露天掘りの採炭跡地を目の当たりにする。ルーマニアでは、炭都バイアマーレ(Baiamare)で、都市の中心にあった工場が取り壊され、辺り一面荒れ地に成り果て、汚染された川と廃棄された鉄道路線のみ残る風景に出会う(写真)。(おぞましく残酷な風景だったのと同時に、強烈に心惹かれる風景でもあった。)
 この旅で、産業遺産を単に建築物にのみ着目するのではなく、風景として捉える事の必要性を感じるようになった。産業遺産の生まれるコンテクストに興味が移ったと言えるかもしれない。
 また、旧共産圏独自の都市問題と、この都市問題がEU加盟で今後どのような変化がもたらされ得るのかという事に興味を抱き、中東欧をフィールドにしていこうと考えたきっかけとなった。
 東欧の多様な風土と、シャイだが暖かく自分の都市を愛する人々、EU加盟で希望に燃える同世代の若者たちの熱意に絆されたのも東欧に惹かれた大きな理由だった。


2008年6月 東独ラオジッツ地方、北ボヘミアチェコシレジアへ調査旅行

 旧東独ラオジッツ地方で活動するIBA Fürst-Pückler-Landのプロジェクトマネージャーとツアー担当の方、前述のモスト市の方にそれぞれインタビュー。
IBAラオジッツの活動、特に住民参加の方法に大変感銘を受ける。産業都市の負の遺産を、空間的に再生するだけではなく、遺産を見つめる人々の様々な視線(過去の栄華を思い起こす視線、憎悪の視線、新しい美を発見する視線など)が交錯する場としての"Industrial Landscape"の重要性/可能性を考える機会となった。
 モストではEU加盟後勢いづく東欧への直接投資(FDI)をもとに、黒い三角地帯という汚名を返上すべくブラウンフィールド再生を目指す人々と、工場誘致などに取り組む人々と出会った。中東欧諸国ではEU加盟、シェンゲン協定実施と欧州化の進む中、モスト、チェコシレジアでは特に、他国へのアクセスが地理的に容易である事を最大限に生かし、発展を目指す都市の姿が印象的だった。(この調査旅行の成果の一部は、雑誌『季刊まちづくり』24号2009年9月1日発行 に掲載予定)


・2008年8月 九州(大牟田、田川など)の炭坑地帯を訪問、調査、インタビュー


・2009年3月 大阪(尼崎)を訪問、調査、インタビュー


・2009年5月 北海道旧採炭地域(岩見沢美唄、幌内など)訪問
 NPO法人炭坑の記憶推進事業団の吉岡先生に大変お世話になる。


2009年7月 ポーランドシレジア地域、独・ポ国境沿いの都市へ調査旅行

 ポーランドシレジア地方の各都市を訪問し、産業遺産の再生事例、都市・地域間の協力、ヒアリング等を行った。クラクフ東部の製鉄都市ノバフタ(Nowa Huta)で、都市の設計者(かなりご高齢)と、現在ノバフタでツアー事業を行っている若者のグループの双方から話を聞く事が出来た。
 独ポ国境の都市では、オーデル・ナイセ線(Oder-Neiße-Linie)で二次大戦後に人工的に国境が引かれた都市(Görlitz,Guben,Frankfult-oder)が、EU、シェンゲン以降また一つの都市として成長する(Europe-City)ビジョンの現状をインタビューした。