Neue Wache - 戦争犠牲者追悼施設の一つの終着地点


[Photo : hbierau]

ベルリンの目抜き通りウンター・デン・リンデン。雑踏の中に新古典主義様式の建物が一つひっそりとたたずんでいる。名前はNeue Wache(新衛兵所)、1816年にナポレオン戦争の勝利を記念してプロイセン時代に建てられた。オリジナルの設計者はこの時代を代表する建築家Friedrich Schinkel(フリードリッヒ・シンケル)。一次大戦後に内壁を撤去し天井をくりぬくという大胆なリノベーションをしたのは建築家のHeinrich Tessenow(ハインリッヒ・テセノウ)。
Neue Wacheはプロイセン、ワイマール、ナチスそして東ドイツ時代を通じて、国家と戦争、特に国のため「尊い犠牲」になった「国民」を追悼する施設であった。コンセプトががらりと変わったのは東西ドイツが再統一を果たした直後の1993年。東独の崩壊と西独に追悼施設が無かった事から、Neue Wacheをドイツ連邦共和国の戦争犠牲者追悼施設として改めて位置づけることとなった。
現在Neue Wacheは、ガランとした内部の真ん中に「DEN OPFERN VON KRIEG UND GEWALTHERRSCHAFT(戦争と暴力支配の犠牲者のために)」という文字と共に、戦死した息子を抱きかかえる母親の像が置かれている。彫刻はKäthe Kollwitz(ケーテ・コルヴィッツ)の作品。ここでは国家のための死を「英雄」として称えるのではなく、戦争による全ての死者を戦争と暴力支配の「犠牲者」として追悼している。日本を含めた多くの国で、国立の戦争犠牲者追悼施設が自国の戦争犠牲者を「国のための尊い死」にすり替えるための施設と化しているなか、Neue Wacheのコンセプトは、戦争犠牲者追悼施設の一つの終着地点といえるだろう。
建築的にも結構面白い。内部空間はガランとしていて大変簡素だが、空間の大きさと彫刻の存在感のバランスが絶妙な緊張感を生んでいる。彫刻の真上から降り注ぐ光も大変美しく、天気や時間によって様々な表情を見せる。
ただし、建築自体はプロイセン時代のごてごての国家主義イデオロギーの産物である。丸い天窓も、改築当初はプロイセンの「祖国の祭壇」を照らすために設けられたものだ。建築空間はそのままに、現在ではその国家主義イデオロギーを明確に否定する彫刻が同じ所に置かれている。そして空間はそのコアが変わってもはつらつと生きている。よく考えるとグロテスクな話だ。
優等生的な結論としては、建築的な「崇高さ」は、大変魅力的であるけれども諸刃の剣で、魅力的であるが故に理性をもって扱わないとまずいことになる、といったところか。建築と政治の関係は論じるには面白いが、「建築側」からアプローチしているだけでは議論の出口はなさそうだ。